まず明言しておかねばならない。寿司打は日本語タイピング普及の最大功労者である。
その軽妙な演出と価格換算スコアは、敷居の高かった速度競技を「庶民的な娯楽」へと昇華させた。
この功績がなければ、今日われわれが抱くタイピング文化の地平は遥かに狭隘であったはずだ。
ゆえに本稿は、“否定”ではなく“継承と再構築”を意図する。礎石を礼賛しつつ、その上に競技性という新たな層を積み重ねる試みである。
タイピングという競技が発展する上で不可欠なのは、公正で透明なランキングやスコア評価の仕組みである。寿司打に関して言えば、かつてのFlash版ではユーザーネームを伴うランキング表示が存在し、それによってある程度の公正さや透明性が保たれていたと考えられる。しかし、現在のUnityを用いたWebGL版になってから、順位の変動やランキング表示が不安定になるなど、不透明な部分が散見されている。例えば、同じスコアを記録しても順位が著しく変動するという現象が頻発していることは、多くの競技タイパーが指摘しているところである。
寿司打は、一般社会において最も普及したタイピングゲームである。その圧倒的な普及力により、無数の人々がタイピングの楽しさに触れる機会を得た。しかし同時に、この巨大な存在感ゆえに、ある種の構造的な課題も生じていると思料される。
メジャーであるがゆえに――寿司打は入門者の最初の接点をほぼ独占する。その強力な引力により、よりマニアックな深層域(WT、TW等)へ到達する前に、多くのプレイヤーはその心地よい世界で充足してしまう。巨大な入口は、いわば界隈の分水嶺を塞き止めるダムともなるのだ。
かつて私はこの構造を「単一神殿モデル」と呼んだ。大衆は一様にその神殿へ巡礼するが、聖所内の儀式は閉鎖系で完結し、上段へ歩を進めぬまま熱量が澱む。ゆえに裾野は膨らめど、頂は永遠に削ぎ取られる。
だが、こうした状況が絶望的であるとは決して考えていない。むしろ、寿司打が広く社会に浸透したからこそ、タイピングという行為そのものが広範に受容され、結果として現在の広大な裾野――すなわち、肥沃な土壌――が形成されたのだと捉えるべきであろう。この土地を競技という視点で耕し、種を撒き、収穫することで、我々はタイピング文化全体を飛躍的に発展させることができるだろう。
そのために求められるのは、大衆と競技の断絶を溶解し、両者を融合させるための新たなゲームの登場である。寿司打の世界観を否定するのではなく、それを継承しつつも、公正で透明なランキングシステムやオンラインのリアルタイム対戦などの新しい競技的要素を付け加え、「娯楽」と「競技」の両輪を回転させることこそが求められている。
寿司打という偉大な先達が築いた土台の上に、我々JTPIは新たな建築を試みる。それは破壊ではなく、増築であり、拡張である。タイピング文化の豊かな生態系を育むために、我々は静かに、しかし着実に歩を進めていく所存である。